もしも百景 〔第50回〕

江戸の水道は、山崎で秀吉が光秀を討った日に始まっていた

起点: 山崎の戦いと秀吉の台頭(1582年) ・ 結末: 玉川上水の開削(1653年) ・ 消滅 28
江戸の水道は、山崎で秀吉が光秀を討った日に始まっていた の挿絵(マカミ)

多摩川の水を羽村から四谷大木戸まで、自然の勾配だけで四十数キロ引く。玉川上水は、百万都市・江戸の喉をうるおした一大土木事業である。その源流をたどると、川でも水利技術でもない、71年前の京都郊外での合戦に行き着く。しかも、水とはおよそ縁のない天下取りの一戦に、である。

山崎の戦い(1582年)だ。

本能寺の変の報を受けた羽柴秀吉は、中国大返しで畿内へ駆け戻り、山崎で明智光秀を破る。ここから将棋倒しが始まる。一手目、清須会議で主導権を握った秀吉が天下統一を果たす。二手目、その豊臣政権が幼い秀頼を残して崩れ、生じた空白を家康が関ヶ原で埋める。三手目、勝った家康が江戸幕府を開く。四手目、なお大坂城に残る豊臣氏を大坂の陣で滅ぼす。五手目、抵抗勢力の消えた直後、幕府は大名を縛る武家諸法度を発する。六手目、その枠組みに家光が参勤交代を書き加える。七手目——大名の家臣団が江戸に常駐して人口が急増し、飲料水確保のため玉川上水が命じられた。山崎→統一→関ヶ原→幕府→大坂の陣→法度→参勤交代→上水。七手の一直線である。

データで裏を取ろう。因果絵巻から「山崎の戦いと秀吉の台頭」を抜くと、消える出来事はなんと28件。太閤検地も、秀吉の天下統一も、関ヶ原の戦いも、五街道と伝馬制も、江戸幕府の成立も、参勤交代の制度化も、朝鮮通信使も——近世日本の骨格が、まとめて消し飛ぶ。揺らぐ出来事にいたっては611件。一つの合戦がこれほどの下流を背負っている。

もし秀吉が光秀を討ち損じていたら、と幻の歴史は言う。「秀吉の天下取りは、始まらなかった」と。統一も、幕府も、参勤交代もなく、江戸がそもそも百万都市にならない。ならば羽村から水を引く理由も、玉川兄弟が難工事に挑む理由もない。江戸っ子が当たり前に飲んだ一杯の水は、山崎の勝敗が決したあの日、まだ誰にも見えない場所で流れはじめていたのである。

▶ 再現: https://inga-emaki.bucket-co.workers.dev/inga-emaki.html#if=hideyoshi