蘇我入鹿を斬らせたのは、卑弥呼だった

645年、飛鳥板蓋宮。三国の使節が上表文を読み上げる儀式の最中に、中大兄皇子は蘇我入鹿に斬りかかった。乙巳の変——教科書が「大化の改新」の号砲として教える、あの暗殺劇である。黒幕は中臣鎌足。そう習う。だが因果の糸を六手さかのぼると、はるか昔の女王に行き着く。
卑弥呼である。
将棋倒しを一気に見よう。239年、諸国は大乱を収めるため巫女的な女王・卑弥呼を共立し、魏に朝貢して「親魏倭王」の権威を借りた。→ この諸国連合の枠組みと外交の実績が、ヤマト政権成立(300)の土台になる。→ ヤマトが半島情勢に関与し続けたことで渡来人が往来し、漢字と技術が根づく(400)。→ 大陸文化を受け入れる素地ができたところへ、百済から仏像と経典が届く。仏教公伝(538)である。→ 受け入れの可否をめぐり蘇我氏と物部氏が激突し、蘇我氏が物部氏を滅ぼす(587)。→ 対抗勢力を失った蘇我氏の権力が歯止めを失い、蝦夷・入鹿の専横(626)へ肥大する。→ そして皇位継承にまで介入する専横への危機感が、中大兄と鎌足を結びつけた。入鹿暗殺、である。
六手。外交上手の巫女が並べた最初の一枚が、四世紀後に一人の男を斬らせた。
データで裏を取ろう。因果絵巻から「卑弥呼の共立と遣魏使」を抜くと、消える出来事は18件。ヤマト政権の成立も、仏教公伝も、前方後円墳の拡大も、磐井の乱も、冠位十二階も——古代史の骨格が丸ごと崩れ落ちる。揺らぐ出来事は858件。この国の歴史の膨大な部分が、卑弥呼一人に体重を預けている勘定だ。
反実仮想を一つ。もし諸国が卑弥呼を担がなかったら——ヤマトの統一は、ずっと後にずれていた。連合の作法も、魏との外交チャンネルも、ゼロから組み直しになる。仏教も、蘇我氏も、飛鳥の政変も、すべて別の時刻表で動いたはずだ。
謎の女王は、鏡と占いで国を束ねたと『魏志』は伝える。その手が並べた一枚のドミノが、406年をかけて飛鳥宮の床に血を流させた。歴史の因果は、気の遠くなるほど遠い。
▶ 再現: https://inga-emaki.bucket-co.workers.dev/inga-emaki.html#if=himiko