もしも百景 〔第29回〕

明王朝を倒した最初の一押しは、チンギス=ハンだった

起点: モンゴル帝国の成立(1206年) ・ 結末: 明清交替(1644年) ・ 消滅 9
明王朝を倒した最初の一押しは、チンギス=ハンだった の挿絵(マカミ)

1644年、漢族の明王朝が農民反乱で倒れ、満州の女真族が建てた清が北京に入った。明清交替——中国史の一大転換だが、その438年前の起点をデータで遡ると、意外な人物に行き着く。

チンギス=ハンである。

1206年、遊牧民を統一した彼が興したモンゴル帝国。その軍事動員体制と征服の実績を継いだフビライは、南宋包囲の延長として日本を朝貢体制に組み込もうと国書を送りつける(元の成立と日本招諭、1271)。——そう、あの元寇の前触れだ。

だが糸はそこで終わらない。モンゴルの広域交易奨励と異民族支配への反発が元末の紅巾の乱を招き、これを制した朱元璋が漢族王朝明を建国する(1368)。明は前代の開放策を裏返すように、民間の海上貿易を禁じる海禁を敷いた。朝貢船以外の往来を認めないこの統制策こそが、皮肉にも密貿易と倭寇の温床となる。統制が抜け道を生み、抜け道が財政難と結びついて、明は内側から蝕まれていった。3手の因果は、こうして農民反乱と明清交替(1644)へと倒れ込んだ。

データで裏を取ろう。因果絵巻から「モンゴル帝国の成立」を抜くと、消える出来事は9件。日本招諭が消えれば、文永の役(1274)も弘安の役(1281)も消える。つまり元寇は、訪れていなかったことになる。高麗の服属も、異国警固番役と石塁も、南宋の滅亡も、明の海禁も、明清交替も、清の海禁解除まで——ユーラシアと東アジアの400年余りが、一人の遊牧民の名の下に連なっている。揺らぐ出来事は723件。

もしチンギス=ハンが草原を統一しなければ、フビライの国書は届かず、鎌倉武士は博多湾に石塁を築かず、二度の神風も語り草にならなかった。明が海禁を敷く動機も薄れ、清の中華支配も生まれなかったかもしれない。日本の教科書が「元寇」と呼ぶ一大事件は、まるごと空白になっていた可能性がある。

一人が草原でまとめ上げた騎馬の集団は、438年をかけて、海の向こうの王朝の寿命まで決めていた。因果の糸は、国境も海も、平気でまたいでくる。

▶ 再現: https://inga-emaki.bucket-co.workers.dev/inga-emaki.html#if=mongoru