平城京は、銭がなくても長安になる——ただし遅れて

710年、元明天皇のもと平城京へ遷都した。唐の長安にならい条坊制と東西の市を備えた計画都市。二官八省の官庁、貴族の邸宅、大寺院が立ち並び、以後約70年の政治・文化の中心となる。造営には和同開珎(708)の発行が資金の道を開いた——なら銭がなければ、都も建たなかったのか。糸をたぐると、遷都の一点には出自の違う二本の糸が伸びていた。
もし和同開珎の発行(708)を消したら——それでも都は建つ。貨幣で物資と労働力を調達する道は細り、工期は延び、動員は苦しくなる。だが大宝律令の完成(701)が残る。律に定めた官僚制と身分秩序を回すには、それにふさわしい規模と格式を備えた恒久の都が要る。財布の便利さが欠けても、制度の要請が槌を振らせる。 ただし——銭という潤滑油を欠けば、完成は間違いなく遅れる。
では大宝律令を消したら——それでも建つ。今度は和同開珎が効く。物資調達の手段が現に整っていれば、都造りという巨大事業を回す資金の裏付けができる。律という後ろ盾が薄くても、金回りの良さが大工事を可能にし、拡大する官人を収める新たな器を求めさせる。制度の命令がなくとも、増えた人と回る金が、より大きな都を欲しがる。
律令が求めた格式と、和同開珎が用意した資金。 一つは制度が「なぜ建てるか」の話、一つは貨幣が「どう賄うか」の話。目的と手段。畑違いの二つが、たまたま8世紀初頭に出そろい、同じ平城京へ収束した。だから遷都は消せない。因果絵巻の全1,002件を一つずつ消す実験をしても、平城京遷都は一度も消えない。これが歴史の耐震構造だ。
面白いのは、二本の柱の役割がはっきり分かれている点だ。律令は「建てねばならぬ」と命じ、和同開珎は「建てるならこう賄える」と囁く。動機の柱を抜けば都は要らなくなり、資金の柱を抜けば都は遅れる。 一方は建てるか否かを、もう一方は速いか遅いかを支えた。必然の遷都に、貨幣は締め切りを縮める役をあてがわれた。二本のうち一本を抜けば都が消えるのではなく、遷都の年が前後するだけ——耐震構造とは、そういう粘りのことだ。都とは、理由と財布が同時にそろった時、一番早く立ち上がる。
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