もしも百景 〔第131回〕

大学入試センター試験をつくったのは、受験地獄そのものである

起点: 進学率上昇と受験競争(1965年) ・ 結末: 大学入試センター試験(1990年) ・ 消滅 3
大学入試センター試験をつくったのは、受験地獄そのものである の挿絵(マカミ)

1990年、大学入試センター試験が始まる。国公立も私立も同じ土俵で測る、公平でスマートな共通試験——教科書はそう紹介する。だがこの制度が生まれた原因をたどると、公平を掲げた官僚でも、崇高な教育理念でもないものに行き着く。受験生を泣かせた、あの受験地獄そのものである。

順に見ていこう。1965年ごろ、高度成長で家計の所得が増え、企業が学歴で人を選ぶようになると、高校や大学への進学率が跳ね上がった(進学率上昇と受験競争)。椅子の数より志望者がずっと多ければ、競争は過熱する。各大学は殺到する志願者をふるい落とすため、出題をどんどん難しくした。教科書の範囲を超えた奇問、揚げ足取りのような難問——いわゆる難問奇問がはびこる。

「あんな問題、高校で習っていない」。批判が高まると、その是正として、国公立大の入試を一つのものさしで一律に測る共通一次試験が始まった(1979)。過熱した競争が書かされた、いわば反省文である。

ところが共通一次は国公立大だけの仕組みだった。私立志望の生徒には縁がなく、しかも一次で失敗すれば志望校の選択肢が一気にしぼむ。「かえって窮屈になった」。今度はその不満が、私立大も参加でき、複数校を併願しやすいセンター試験への改組を後押しした(1990)。

データで裏を取ろう。因果絵巻から「進学率上昇と受験競争」を抜くと、消える出来事は3件。共通一次試験も、センター試験も、そして受験過熱への揺り戻しであるゆとり教育と学力論争(2002)まで、まとめて消える。揺らぐ出来事は2件。二十五年、二手の連鎖である。

ここに皮肉がある。共通一次もセンター試験も、受験地獄を憎んで生まれた改革だった。にもかかわらず、地獄そのものを抜けば、改革のほうが先に消えてしまう。親である地獄を殺せば、反省文という子も生まれないのだ。 改革は地獄を叱る文書であると同時に、地獄が産み落とした子どもでもあった。しかもセンター試験さえ、のちに批判を浴びて大学入学共通テストへと姿を変える。地獄は制度を産み続けたが、制度はついに地獄を終わらせなかった。

今の共通テストも、この鎖の末裔だ。難問奇問→共通一次→センター試験→そして現在。改革は毎回「これで公平になる」と胸を張って登場する。だが因果をたどれば、次の改革を呼んだのは、いつも前の改革が生んだ新しい不満だった。受験地獄が要らなかったのではない。受験地獄がなければ、それを直すための一連の改革も、そもそも要らなかったのである。

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