もしも百景 〔第31回〕

今昔物語集を書かせたのは、平将門と藤原純友である

起点: 平将門・藤原純友の乱(939年) ・ 結末: 『今昔物語集』(1120年) ・ 消滅 3
今昔物語集を書かせたのは、平将門と藤原純友である の挿絵(マカミ)

「今は昔——」で始まる、日本最古級の大説話集『今昔物語集』。天竺・震旦・本朝の三部に千余りの話を集め、貴族から盗賊までを登場させたこの奇書を、誰が書かせたのか。編者は不明である。だが因果の糸を二手さかのぼると、意外な二人の名前が浮かび上がる。

平将門と、藤原純友である。

939年、東西で同時に火の手が上がった。関東では平将門が国司を追放し、自ら「新皇」を名乗って独立を宣言。ほぼ同時に瀬戸内では藤原純友が朝廷に反旗をひるがえし、大宰府まで焼いた。承平・天慶の乱である。武士の力を借りてどうにか鎮圧されたが、この「世が乱れた」という記憶は、都の貴族層の心に消えない染みを残した。

一手目。乱の衝撃が、末法思想を呼ぶ。仏の教えが廃れ世が滅びに向かうという末法の世が1052年に始まるとされ、貴族たちは震え上がった。すがったのが、来世での救済を説く阿弥陀信仰である。

二手目。浄土信仰の高まりが、説話を集めさせる。因果応報の物語、極楽往生の物語——人々は「善い行いが救いをもたらす」証拠を求めた。各地の説話が僧の手でかき集められ、やがて一大説話集へと編まれていく。それが『今昔物語集』(1120)だ。

データで裏を取ろう。因果絵巻から「平将門・藤原純友の乱」を抜くと、消える出来事は3件。「末法思想と浄土信仰」「今昔物語集」、そして遠く「鎌倉新仏教の広がり(1224)」までが道連れに消える。揺らぐ出来事は772件にのぼる。乱がなければ、法然も親鸞も立つ舞台を失っていた勘定だ。

反実仮想を一つ。もしこの反乱がなかったら——世の終わりを恐れる心は、もっと和らいでいた。恐怖が薄ければ、極楽往生への渇望も、それを支える説話文学も、これほど豊かには実らなかっただろう。

反逆者が、聖なる書物の遠い産みの親だった。将門は今も神田明神に祀られ、その怨霊は都を呪ったと語り継がれる。だが因果の帳簿を開けば、彼が呪いとともに残したのは、日本人が千年読み継ぐ物語の水源でもあったのだ。181年、二手の糸である。

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